子どもに言っていることを自分は守れているだろうか?
親にガミガミ言われ、辟易することは子どもにはよくあることだろう。
もちろんこれは親子関係の宿命と言っても良いが、ご多分に漏れず、僕も同じような経験を子どもの時にしてきた。
しかし反抗期にさしかかると、単に言われっぱなしではなくなっていく。
反骨心が湧くのはもちろんだが、まず言われる内容に対して「自分はどうなの?」と思うことがよくあった。
例えば、やることをやらず、ずっとテレビを見ていたとする。
その様子を見て、当然親から「テレビばっかり見ているんじゃない!」というような類いの叱責を受ける。
しかしそんな叱責をしている親も、隙あらばテレビばかり見ているように感じていた。
「漫画ばっかり読んでいないでたまには小説でも読みなさい」と言われたことがある。
しかし親が小説を読んでいるところなんて見たことがない。
要は、子どもに注意したり、「こうなってほしい」という要望があるなら、まずは自分が手本になるような行動をとれているかを振り返る必要がある。
「スマホばかり見ているんじゃない」と言いながら、スマホを見ているようでは全く説得力がないし、子どもにとって不満の種にしかならない。
子どもにスマホを触らせたくないなら、まずは自分がスマホを触る姿を子に見せないなど、自分自身の行動をまずは戒める必要がある。
これは何も親子関係に限ったことではない。
小学4年生の時、算数だけ担任とは違う先生が授業担当だった。
その先生は平気で授業の延長を行う先生で、授業後の休み時間を丸々潰して授業を行うなんてザラだった。
この時も強い嫌悪感を覚えていた。
楽しい休み時間を潰されることはもちろんだが、普段は「時間厳守」を謳う教師が全く時間厳守できていなかったことに、不快感を覚えていた。
これも自分でこうしろ!と言うなら、まずは自分がやって示すべきだという典型だ。
そういう意味で、やはり大人の言葉には責任が伴うことを忘れてはならない。
言葉でねじ伏せるのではなく、行動で示す!
子どもと大人ではすでにパワーバランスがとれていない。
圧倒的に大人が有利になってしまう。
子どもに言うことを聞かす手っ取り早くて楽な方法は、力で抑えつけることだ。
恐怖政治と言ってもいい。
しかしこれでは「納得」を生み出すことはできない。
人間とは命令ではなく、納得で動くものだ。
頭ごなしに力で抑えるのではなく、やはりこういった所も行動で示すこちが大切なんだと思う。
少し話が脱線するが、僕はB’zが大好きだ。
そんなB’zに関するエピソードで感慨深かった話がある。
ボーカルの稲葉さんが、曲のアレンジをこういう風にしたいとギターの松本さんに提案したとする。
日本屈指のギタリストである松本さんは、やはりそういう要望がうまくいくか、難しいかという点に関しては先見の明を持っている。
仮に松本さんの基準ではその案はうまくいかない可能性が高い、と判断したとしても、否定的なことを言葉に出すことはないらしい。
その代わり、稲葉さんの提案を実際ギターで弾き、音で示すらしい。
まずいと思ったことに関しては稲葉さんも実際に松本さんのギターの音を聞いて、「やっぱ良くないね」と自分で気づくらしい。
言葉よりも行動で示す方が説得力があるという好例だと思う。
このやりとりを聞いて、なぜB’zが長年に渡って音楽会をリードしてこれたのか分かる気がした。
偉人の考えや行動は、本当に学べる点が多い。
話は少し脱線したが、こういった例からも、まずは自分が行動することで、文字通り背中を見せることが大切だ。
まとめ
今日の核心も非常にシンプルだ。
口にする前に自分の行動を見直すことは、様々な面で良い反省のきっかけになる。
「なぜうちの子は反抗ばかりするのだろう」とよぎった時は、この記事も善処の一つになる可能性が高いと思う。
もちろんそればかりではないが、子どもは大人が思っている以上に大人をよく見ているものだ。
大人として尊敬されるには、やはり日頃の言動と行動に大きな矛盾がないように心がけたいものだ。
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