意外と自分のことは分からない
当然自分のことは自分が一番よく分かっている、と思う人は多いだろう。
しかし、自分のことほど客観視することは難しいことはないと思う。
たとえばあなたの長所は何ですか?と聞かれ、あなたはいくつ思いつくだろうか。
日本人得意の謙遜が働く人もいるだろうが、それを抜きにしても1つか2つ、もしかすると1つも思いつかない、なんて人もいるのではないだろうか?
実際にはまずそんな人はいない。
他人から見ればいいところがたくさんある人でも、いざ自分でそのことに気づいているか、と考えれば、ほとんどの人が気づけていない。
自分を客観視できていない身近な例で言えばこういうことだ。
厳しい言い方をすれば、自分を客観視できていないということは、自分のことを分かっていないということだ。
僕はこの自分を客観視するということがとても大切なことだと思っている。
自分のことが分かるからこそ戦略が立てられる!
受験勉強には計画と戦略が必要だ。
志望校の偏差値を知り、自分の偏差値との差を知る。
その偏差値の差を埋めるために、強化しないといけない教科は何か。
その教科の苦手な単元はどこか。
克服するためにどのような勉強スケジュールを組むか。
それをいつまでに仕上げるか。
ざっくりこれくらいのことは念頭に置かなければならない。
さて、受験生は、自分の苦手な教科は何だろう?
これに関してはパッと答えられる人が多いはずだ。
しかし、ではその教科のどこが分からないのか?と聞かれると、とたんに悩む人がいないだろうか。
悩むというより、自分は苦手な教科のどこでつまずいているのかはっきり分かっていない人が多い。
苦手とは言え、何もかもが分かっていない、なんて人は少ないはずだ。
もし何もかも分からないならテストは0点のはずだ。
しかし実際はそこまで何もかもが分からない状態になっている人は少ないはずだ。
苦手な箇所が明確に答えられない人は、自分がなぜその教科が苦手なのかも見えてくる。
ほとんどのケースでは、嫌いだから向き合っていないだけ。つまりやっていないだけ、というケースはほとんどだ。
逆に得意なことはなぜ得意かというと、はかどるから努力が苦にならず、意識していない内に結構な量を積んでいる可能性が高い。
ただこれだけの差だ。
はっきり言ってしまえば、単にやっていないだけで本当にそれが苦手なのかどうかも分からない状態になっている人は多いと思う。
寝る間を惜しんで死に物狂いで勉強してもそれでもなんともならないのなら、そこで初めて苦手と判断したらいい。
ちなみに僕もそこまでのことをして、自分の限界を感じたことが高校の時にある。
あまりの難しさに今でもトラウマなのが、物理だ笑
必死で定期試験前に勉強しても、赤点を人生で初めてとってしまった。
他の教科の勉強を犠牲にしてまで取り組んだのに、まさに地獄だった。
間違いなくこのまま物理を選択すると、入試どころか進級や卒業すら危ういと感じ、身の丈を案じて即ドロップアウトした笑
少し話が逸れたが、自分の本質を知るには、とことん自分と向き合う必要があるということだ。
自分の価値を高める!
このように、まず自分を知らなければ、何をゴールにして、どう戦略を立てれば良いかが見えてこない。
自分のスキルを上げて価値を上げるには、まずは自分という人間をよく知らないといけない。
人とは、自分以外の人間のことはよく見ているのに、自分のこととなると鈍い、という人が多い。
それを回避するのに効果的な方法はいくつかあるが、信頼できる人に、色々指摘してもらうことも効果的だと思う。
そしてその時に注意しないといけないのは、他人からの指摘に反発するのではなく、真摯に受け止めることだ。
人間関係を円滑にすることにも役立つ。
決して主観的ではいけない。
自分が一番正しいと高を括るのも良くない。
自分で気づかない客観的な意見を得ることができること自体、尊い経験だと認識したいものだ。
自分を客観視できるようになれば、自ずと改善点が見えてくる。
その改善点と向き合うことで、克服され、できることも増え、自分の価値が上がるというものだ。
まとめ
優れた人は、自分が絶対だ!と高を括らず、常に自分を客観視し、他人から意見を求めることを習慣化している。
勉強でも何でもそうだが、この客観性という概念は常に意識しておくと将来的にも役に立つ。
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