「自」分を「信」じると書いて「自信」
何かに向けて一生懸命取り組んでいると、緊張する場面をはじめとした大舞台が用意されることが多い。
そしてそのような大舞台では緊張がつきもので、その緊張の理由として多いのは、「うまくいくかな」「失敗したらどうしよう」などといった、自信に関することが多い。
日本人は謙虚な人が多いという文化を差し引いても、自分に自信がないと思っている人は多いように思う。
大前提として、多くの人がそうなる理由としては、自信をつけようというマインドセットになっていない。
つまり気持ちですでに自信がない方向に自身を持っていってしまっている人が意外と多い。
自信とは、文字通り自分を信じると書く。
そもそもまずは自分を信じてあげようとしているかどうかを考えてみると良いだろう。
自分を信じる一歩は小さな達成感の積み重ね
もちろん自信をつけようと考えて、本当にその通りに自信がつくなら苦労はしない。
自信をつけたくてもつけられないという悩みを持つ人も多いだろう。
しかしそもそも自信はつけようと思って勝手につくものではない。
少しでも自分に自信をつけたいなら、やはり行動に移すしかない。
これまでの記事でも何度も述べた方法で、達成感を味わう機会を意図的に作り、それを積み重ねていくしかない。
そのためには何をするにも小さな目標と目的意識を持って取り組むことが必須だ。
漠然と暮らすだけではもったいない。
そしてそれを1年も積み重ねれば、自分はこれだけのことを頑張ってきた、という確かな自信につながるはずだ。
昔、受験生を指導している時、入試の数日前に決起集会を行っていた。
その時よく生徒に、受験期1年間で勉強に使ってきたテキストやノートを一式持って来させていた。
会の終了間際に全員にそれらを机の上に出させた。
山積みになったボロボロのテキストとノート。
これらがこの1年間、君たちが頑張ってきた努力の結晶だよ、と伝えた。
自分の努力が形となって表れた物を目の前にして、泣き出す生徒もいた。
自分に自信をなくしそうになった時は、自分に自信がつくような出来事や、形として表れている物を見ると回復する。
こうしたものは、捨てずにとっておくことをオススメする。
走り続けることはできない。時には歩くことも大切。
これは昔自分がよく陥ったことだ。
何事にも全力投球しすぎてバテてしまい、全てが嫌になってモチベーションが低下してしまうという経験だ。
こういう時、自分には体力がないのだと思っていた。
しかしふとした拍子にある人から、体力がありすぎることが原因だ、と言われ、衝撃を受けたことを今でもよく覚えている。
サッカー選手も前後半90分を全速力で走り続けているわけではない。
よく見ると、ここぞという場面で活躍ができるよう、試合中の様子を見ていても、適度に力を抜いたり体力を温存していたりしている様子が分かる。
それと同じで、物事を長続きさせるには適度な急速が必要だ。
「走る」を「歩く」に変えるだけで、負担は劇的に減少する。
そしてそれ以上に大切なのは、決して前進することを止めないこと。
確かに走りを歩きに変えれば、速度はかなり落ちる。
しかし速度は変わっても、進むことはできる。
このように、どんな時でも一歩でも二歩でも前に進むという発想は忘れてはいけない。
短所を長所に!
これまで書いたような行動は、自分自身を磨くため、苦手を克服するため、など様々な理由が考えられる。
苦手だからこそ頑張る、その結果、できなかったことができるようになる、そして苦手だったことがいつの間にか得意になっている、なんてことは十分に考えられる。
人は劣等感の塊だ。そしてどれだけ客観的に満たされても、意識しなければ際限のない欲望に悩まされ、そしてないものねだりをする。
これは人の性だから仕方がないが、大切なことはこのような気持ちになった時にどんな行動をとるかだ。
ひたすら不平不満を言って全く行動しないか、その不平不満を解消するために行動するか。
間違いなく行動に移せる人間はその分成長していく。
実は僕も昔は人前に出ることが苦手だった。
そんな僕も人前に立って話すことがメインの仕事に携わり、むしろ人前で話すことが好きで得意になるなど、学生時代には想像もつかなかった。
もちろんいきなりできたわけではない。
大人数を前にしたプレゼンが控えている時は、その2日前から一睡もせずに夜通し練習し続けたこともある。
上司にダメ出しの嵐を受け、胃を痛めながら練習に励むこともあった。
しかし諦めずに努力し続けたからこそ、今の自分がある。
これは自信を持ってそう言える。
自信を失いそうな時こそ一歩でも前に進もう。
その積み重ねが、必ずいずれ大きな財産になるはずだ。
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