src="https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js?client=ca-pub-4532488125941757" 目に見える「結果」より大切なこととは? | あつたろうの教育相談室

目に見える「結果」より大切なこととは?

目に見えるものだけが財産ではない!!

受験は倍率が一倍を超える限り、仮に受験生全員がどれだけ頑張ったとしても、悔しい思いをすることになる人が必ず出ます。

結果だけで言えば、受験に関しては「合格」か「不合格」かの二択しか与えられません。

しかし、合格=成功なのでしょうか?不合格=失敗なのでしょうか?

僕はそうは思いません。

「合格」を勝ち取るだけなら、最も手っ取り早い方法があります。

それは、自分の学力で十分合格できる偏差値の学校を選ぶことです。

行きたいとかは関係ありません。

とにかく自分の学力で十分に合格でいるレベルの学校を受験校として選ぶことです。

もちろん受験に絶対はありませんから万が一ということもあるかもしれません。

しかし合格できる可能性をかなりの確率で上げることができるのは間違いありません。

しかしそのような選び方で合格できたとして、果たしてそれは真の意味での「成功」と呼べるのでしょうか?

逆に、どうしても行きたい学校があり、しかし残念ながら学力的に合格できる見込みは限りなく低いとします。

それでも諦めずに合格を夢に見て、周りも驚くほどの努力を毎日のようにしたとします。

その結果、悔しい結果が返ってきたとします。

これは「失敗」と呼べますか?

僕はそうは思いません。

実際このような頑張りを見せながらも最終的に悔しい思いをしてきた生徒を何人も見てきました。

一生懸命頑張った結果、それでもわずかに届かず悔しい思いをしてきた子どもをたくさん見てきました。

一生懸命頑張った子ほど、必ずと言って涙します。

しかし僕はその涙にこそ、結果を遙かに超える素晴らしい価値があるといつも話しています。

一生懸命頑張ったからこそ涙が出る!

僕は野球がそんなに好きではないのですが、毎年甲子園だけはテレビで見てしまいます。

選手の一生懸命な姿に胸を打たれます。

印象的なのは、勝っても負けても多くの選手が涙を流すんですよね。

勝った選手は当然嬉し泣き、負けた選手は悔し泣き。

種類は違えど、この涙の裏にはそれだけ思い入れを持って勝負に挑んだ、試合に入るまでの選手たちの血のにじむような努力の様子が垣間見えるかのようです。

まだ未成熟な子どもがこのような努力の結晶を甲子園という大舞台でぶつけ、大人の心を動かす。

これって本当に尊いことだと思います。

結果はどうあれ、一つのものごとに全力で打ち込むという経験は、人生の中でとても大切なことです。

甲子園の様子は、そんな人として大切なことを再認識させてくれます。

悔しい思いをするからこそ学べることがある!

ありきたりに聞こえますが、これは本当に真理をついていると思います。

小学生の頃、サッカー少年だった僕ですが、6年生の時、あるリーグ大会で、勝てば優勝、負ければ準優勝、というところまでいきました。

当然優勝を目指して日々の練習にもかなり気合いを入れていました。

特に僕が進学する予定だった中学校はサッカー部がなかったため、もしかしたらサッカーができるのは小学生が最後かも、という気持ちもあり、一層励んでいました。

小学生時代の話なんてもう30年近くも前の話になるのですが、この試合のことはよく覚えています。

結果は3対0の惨敗でした。

特に終了間際にダメ押しの3点目を決められ、もう勝てる見込みはありませんでした。

それでも副キャプテンという立場だったため、消沈するメンバーを鼓舞しようと、激励の声をかけることで精一杯でした。

誰もが勝てる見込みは絶対にないと悟った状況だったので、言葉に出しながらも胸が苦しかったことを今でも覚えています。

試合が終了した後、泣くのを必死にこらえていました。

すると、横にいたチームメイトの一人が、地面に突っ伏して号泣しました。

それを見て、僕もとうとう我慢できなくなり、人目を憚らず泣きました。

周りのチームメイトもほとんどが悔し泣きをしていました。

変な話ですが、その光景を見て、このチームメイトと一緒に頑張れて良かったと心から思いました。

そんな僕たちを、当時のコーチがマクドナルドに連れて行ってくれたことをよく覚えています。

悔しい結果で終わったけど、最後にチームメイトとわいわいしながら食べたハンバーガーの味は今でも忘れられません。

悔し泣きするほど熱中できることを見つけられて、今でも本当に良かったと思っています。

負けたからこそ、一つのことに向かって仲間と一緒に頑張ることの尊さを学びました。

そしてこんなくやしい思いをしないためにも、何事も全力で頑張ろうと前向きに考えられるようにもなりました。

そして、準優勝という成績を収めることができたことも、自信につながりました。

何でも自分の思い通りにいくほど人生は甘くないということも学びました。

今後の成長の糧になる経験をたくさん積むことができました。

これは誰にでも言えることだと思います。

誰だって失敗はできることならしたくないし、自ら傷つきたいと望む人も稀でしょう。

しかし、恐れず踏み込んだ領域で、結果だけ見れば失敗に思えることも、そこに確かな努力の証が残っていれば、必ず得られるものがあるはずです。

失敗したくないという気持ちが強すぎると、物事に対して必ず消極的になります。

どこかで自分にブレーキをかけてしまい、せっかくの成長のチャンスを何度も失うことになります。

それは非常にもったいないことだと思います。

中途半端な努力は時間も労力も無駄になる!

しかしこれは上述通り、「努力が伴っていれば」が大前提です。

当たり前ですが、東大にダメ元で挑戦しようと決めたとします。

無論、受かる努力を十分した上で臨むのであれば、どんな結果になったとしても尊い価値が残るでしょう。

しかし、成績が全く足りていない上に努力もほとんどしない。

半ば記念受験のような形で残念な結果で終わるとどうでしょう。

おそらく悲しいという気持ちは生まれるかもしれませんが、悔しいという気持ちはそこまで湧いてこないはずです。

なぜなら受かる努力をしていなかったので、どこか自分でも結果が見えていたからです。

時間の無駄というより、かっこ悪いですよね。

中途半端な努力をすれば、中途半端な結果しかかえってきません。

しかし中途半端に頑張った分、中途半端に自分の時間を犠牲にもしているので、最終的に何も実りあるものが残りません。

それなら最初から何もせず、ひたすら自分の好きなことをやって時間を過ごす方が、その人にとっては生産的なようにも思います。

どうせやるなら徹底的にやる!

これが物事で成果を残すことや、学びを多くもたらす秘訣だと思います。

まとめ

子どもの時は、時間が永遠にあるかのように錯覚することがあります。

大人になった自分をイメージできないし、何より大人になってから年をとる体感スピードは、その年になってみないと分かりません。

しかし大人になるまでの過程で、どれだけの経験をし、どんな苦境を乗り越え、どのように成長できたのかという側面は極めて大切です。

社会は学生の頃ほど甘くないなんてよく言われますが、適応できるかについては学生時代の経験が必ず物を言います。

今頑張っていることや、乗り越えようと必死に抗っていることは、未来のあなたを必ず救ってくれます。

こんなことしていて何になる?と不安になることもあると思いますが、絶対に大丈夫。

失敗しても、取り返すチャンスと時間がたくさんあるのは子どもの特権です。

恐れずぜひとも何事にもチャレンジ精神を持って挑んで下さい。

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