何事もうまくいかない時が絶対にある!
何をやってもとことんうまくいかない時はないだろうか。
不思議なもので、うまくいく時は何をやってもうまくいくのに、何かでつまずくと、芋づる式に何をやってもうまくいかない、というような経験がある人は多いと思う。
「会社のプレゼンでうまくいった」
その次には
「会社での昇進が決まった」
さらに重なって、
「告白した相手からOKの返事をもらえた」
などなど、強運に恵まれているなあと感じることが誰しもあると思う。
実際僕もそのような経験があり、そういつ時はうまくいっている時の状態が永続すればいいのに、と常に思っていた。
しかし良いことも悪いことも、その状態は長続きしないものだ。
実体験を通じてそのことが分かると、順調な時もいつ不調に陥るのか、と頭を過って怖くなる。
そして、その不調に陥った時にどう自分をコントロールできるかが大切だ。
不調な時に、その人のメンタルの強さが表れる!
僕は管理職1年目の時、メンタルが強いと思っていた。
正確には、子どもの時に比べて強くなったと錯覚していた。
理由は簡単で、仕事が絶好調で、上長から求められる基準、自分が理想とする基準をことごとくクリアできたからだ。
あの時の自分は本当に自分を過信していた。
実際本当に成果は順調で、その成果について他の管理職の前で発表する機会を二度も得ることができた。
あの時はどんな難題を課されても乗り越える自信があったし、重たい業務やノルマを任せられても、どんと来い!といった感じだった。
自分のことをすごい人間だと勘違いしていた笑
ビギナーズラックとは本当にあるものだ。
天狗になっていた。
そして、次年度地獄を見ることになる。
管理職になって初めて分かったことだが、当然管理職は数字に基づいた結果を重要視される。
そしてその数字結果については「昨年対比」が一つの指標になる。
塾業界では生徒数が重要となる。
仮に、夏休みの講習で、昨年40名の外部生を集めていたする。
そして今年は50名集めることができたとすると、昨年対比110パーセント達成で、優秀と言える結果となる。
しかし、その一方で次年度はその50名を超えないと、昨対割れすることになる。
これが僕にはきつかった。
管理職一年目に青天井で各所の数値で成果を出したものだから、翌年にその数値を超えることはかなり大変だった。
結果的に随所で何度も昨年の結果を超えることができないことがあり、精神をむしばまれていった。
その時に、僕にとっては過去の自分に負けることが、異常なほどストレスを与えることを知った。
初めて味わう種類の挫折と恐怖だった。
管理職として未熟だった自分は、知らず知らずに自分を追い込んで苦しくなる一方だった。
僕は少しでも数字上、結果を出せない時があると、極端なほどにメンタルをやられてしまうということに気づいた。
数字に常に追われることが宿命の管理職にとっては致命的な弱点だった。
自分を見失わないために!!
結果的に抗った甲斐もあり、期首の時点で昨年の数値を何とか超えることはできた。
しかし当初の目標には遠く及ばずだった。
与えられた数値目標を達成できなかった自分は、ダメな人間だと思っていた。
そしてそんな自分に自信を失った状態で迎えた3年目は心が壊れる寸前まで追い込まれた。
正確にはもう壊れていたのだろう。
病院に行っていたらアウトだったと思う。
全く自分に自信を持てず、管理職として自己判断を行うことができず、指示を仰いでばかりだった。
同じ部署の部下からすれば、僕のこの情けなさは本当に迷惑だったと思う。
けどもうどう修正すればいいかも分からなかった。
顧客のために生き生きと仕事をしているというより、上長に怒られないように仕事をしている、というような感覚だった。
毎日が辛くて、出社時間を早めたり帰宅時間を遅くしたりして懸命に頑張ったが、無情なほどに結果に反映されることはなかった。
「もうダメだ」
あの時な何度この言葉が頭を過っただろう。
当時はまだ長女が4歳で、次女は1歳だった。
帰宅した時の娘たちの無邪気な寝顔が救いで、たまの休日に娘たちと過ごすことがこの上ない幸せだった。
そしてその結果、僕はこの年以ていったん管理職を降りることになった。
プレッシャーに耐えかねて自ら願い出たが、どちらにしても降格になっていたと思う。
この申し出を願い出る時、社内メールでその旨を上長に送った。
この時のことは本当によく覚えている。
「築き上げたキャリアを自分で壊すことにならないだろうか」
「降格することで、給料はどれくらい下がるんだろうか。下がることで、家族に迷惑をかけないだろうか。」
「もう管理職に戻ることはできないのだろうか」
「降格した自分を見て、周りはどう感じるのだろうか」
こんなマイナスなことばかり考えていたので、文面が完成した後も送信ボタンを押すまでかなり時間がかかった。
基本的に、やったことに対してあまり後悔などはしないタイプなのだが、この時ばかりは本当にこの行動が正しかったのかを考えてしまった。
そしてそんなモヤモヤを抱えたまま、次年度は全くこれまでとは違う環境で、一から頑張ることになった。
気持ちを切り替えて行動すれば、必ず報われる!
また一からやり直しか、という感情もあったが、幸い新しい環境で良い仲間に恵まれたことで、気持ちを一新して取り組むことができた。
そして、やはり管理職として抗った成果は無駄にならなかった。
関係各所で、自分でも驚くほど仕事で成果を上げることができた。
自分で言うのもなんだが、周りの人間が僕のことを「さすが!」という目で見てくれていることが伝わったし、何より失いかけてた自信を日々取り戻すことができたことが大きかった。
勝手に成果を出せないことに自信を失い、自らの首を絞めていただけということに気づいた。
自信過剰になるのも考えものだが、過度に自信をなくすこともよくない。
当時学んだ一番のマインドセットだったと思う。
なんだかんだでこの一年間は社会人生活の中で一番のびのびと楽しく仕事に取り組めたような気がする。
部署としても過去最高の結果で終えることができ、成長に大きく貢献できたと思う。
そして無事に翌年に管理職に戻ることができた。
1年間、自分をもう一度鍛え直し、元のフィールドに戻ることができたのだった。
回り道だったかもしれないが、この一年間は社会人生活の中でかなり貴重な1年にできたように思う。
この1年間のおかげで良い意味で自分を見つめ直し、自分の悪いところだけでなく、良い面も発見することができた。
少しおもしろくない状況に陥っても、くさらず気持ちを切り替えて行動すれば、必ず復活できることを学んだ。
人間の真価は苦しい時こそ問われる!
物事が順調な時、調子よく頑張れるなんて当たり前のことだ。
「テストの点数が上がったからこの調子でもっと頑張ろう」
「ついに部活のサッカーでレギュラーになれた。レギュラーの座をキープできるようにもっと練習頑張ろう」
こんな具合で、物事が順調なのに頑張ることが嫌になる人はあまりいない。
しかしここまでで示したような困難に直面すると、その時の行動パターンには大きな差が生まれる。
弱音を吐いて立ち止まるか、歯を食いしばって行動し、踏ん張るかの2通りしかない。
どんな場面でも行動せずに成果が生まれることはない。
苦しい時にこそ真価が問われる。
走ることが難しければ、歩いてだっていい。
とにかくたった一歩でも進むことだ。
その一歩の積み重ねが、必ずジャブのように効いてくる。
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