src="https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js?client=ca-pub-4532488125941757" 利他の精神 | あつたろうの教育相談室

利他の精神

自分ではなく誰かのために!

僕は社会人になるまでかなり自己中心的な人間だった。

自分さえ良ければ、という考えで、周りのたくさんの人を傷つけたり悲しませたりしてきた。

自分の考えと合う人は味方、合わない人は敵のように思っていた時期もあった。

誰かの助けになりたいとか、誰かのためになりたいとか、そういった考えは欠落していた。

そんな僕が教育業に携わり、たくさんの生徒やその保護者様のために頑張りたいと思えるようになるなど、想像もつかなかった。

社会人1年目、配属先とその上長や先輩に恵まれたことが、大きな転機となった。

直属の上長は強面で怖い時もあったけど、僕は大好きだった。

些細な変化にいつも気づいてくれて、声をかけてくれた。

些細なことでも感謝の言葉を口にしてくれて、人から感謝されることの喜びを知った。

仕事で失敗して落ち込んだ時は、美味しい焼き肉屋に連れて行ってくれた。

あの味は今でも忘れない。

そんな上長がある時、その年の中3のあるクラスで、授業丸々潰して汗だくになりながら叱責していた。

受験生としての自覚の欠如に関して、生徒たちに熱い思いをぶつけていた。

何人かの女子生徒が泣いていた。

それは恐怖で泣いていたのではなく、こんなにも自分のことを想って叱ってくれていることに対して胸を打たれて泣いていたということはすぐに分かった。

その場面を僕も見学していたが、僕の胸まで熱くなった。

自分もこんな教師になりたいと心底思った1日だった。

他人のことにここまで真剣になり、熱くなれる人を直接的に見たのは初めてだったので衝撃的だった。

今でもこの上長との出会いが今の僕を形成する上で重要であったことは間違いない。

他人に尽くすことが成長につながる!

教師1年目の時に、少し癖の強い女子生徒がいた。

まあいわゆる反抗的な生徒だ。

宿題やしない、授業中は眠る、それに対して注意すると反発する。。。

何しに来てんねん、と思わず突っ込みたくなるような生徒だった。

その生徒の授業は週に一回、配属先とは違う校舎で受け持った生徒だったので、接点は薄かったが、休み時間中に趣味を聞いたり他愛のない雑談をしたり、少しでも距離を縮めようと懸命に対応していた。

話すたびに少しずつ心を開いてくれていることも分かり、日々信頼関係が厚くなっているように感じていた。

その矢先、その生徒は塾を辞めてしまった。

別の担当と揉めて、嫌になって辞めたとのことだった。

なぜか涙が止まらず、先に述べた上長が僕の気持ちをくみ、例の焼き肉屋に連れて行ってくれた。

こんな悲しい思いをしないために、そしてこのような生徒を一人でも多く救うために、自分はまだまだ成長しないといけないと強く思った瞬間だった。

それから教育関連の本を買いあさり、出勤時や帰宅時の電車の中で読みあさった。

休日はカフェに行き、紅茶を片手に読書に耽っていた。(当時コーヒーは飲めなかった。。。)

「生徒の力になれる存在になりたい」

その一心だった。

これがそれまでの人生で一番努力する期間となるきっかけをくれた。

おかげでこの期間で様々な面でかなりレベルアップした。

ただ、自分のことを考えている暇はなかった。

あくまで目の前の生徒のために。

その気持ちで頑張った結果が、全て自分の成長として還元された。

本気でぶつかれば、本気で返してくれる!

たくさんの未熟な子どもと関わる中で、当然悔しい思いもいっぱいしてきた。

救いきれなかった生徒ももちろんいる。

けれどその経験全てが自分にとっての財産だ。

初めて担任を受け持った生徒たちも、今年27の年になる。

もう一人前の大人だ。

数千人の子どもたちを指導する中で、本当にたくさんの学びと気づきを与えてくれた。

僕は幸せ者だ。

そしてこっちが本気でぶつかれば本気でバットを振ろうと努力してくれる子どもたちがたくさんいる。

そんな素直で純真無垢な子どもたちが大好きだ。

大人になると、損得勘定や打算が働くようになってしまう。

良くも悪くも斜に構えて物事を見ないといけない時も多々あるけど、子ども相手だとそれがない。

子どもと接する時間は自分の心が清らかになるような気がしてくる笑

自分に関わる全ての子どもに伝えたい。

「他人のために頑張って尽くしたことは、必ず自分の返ってくる」

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