僕は3人兄弟の長男として生まれました。
年子の弟と、6つ離れた妹、そして僕の3人です。
1人目の子にはありがちな話ですが、やはり3人兄弟の中で一番厳しくされる機会が多く、損だなと感じることが多かったように思います。
自分はこのことで昔怒られたのに、弟や妹が同じことをしてもさほどお咎めなし、なんてことはしょっちゅうありました。
明らかに不公平だと感じることもありました。
おそらく共感してくれる人もいると思います笑
これは大人になってから身をもって分かったことですが、大人もやはり人間なので、決して完璧ではありません。
今となっては両親のことを尊敬しているし、感謝もしていますが、それでもやはり学生時代には納得できないことや、「それはおかしいんじゃないか」と思うこともありました。
それを顕著に感じるようになったのが高校生の時です。
高校生ともなると色んなことが見えてくる年頃なので、明らかにこれに関しては自分の言い分の方が正しいと思える機会が増えました。
しかしいくらそのことを指摘しても、親も引けないのでしょう。
それでも自分の言うことを正当化し、論破しようとしてくるので、さらに応戦して収拾がつかないということが増えました。
言い負かされそうな母親を見ると父親がそんな母親に加勢して、といいう状況を何度か経験する内に疲れ、「もうええわ」と投げやりになっていた時期でした。
そんな状況だったので、とにかく早く家を出たい、という気持ちが強かったように思います。
だから大学生になり、通学するにはかなりの距離で一人暮らしができることになった時は歓喜し、悠々自適に暮らせる日々を想像して、テンションは爆上がりでした。
親元から離れて初めて分かる親の偉大さ
「やっと家から出られる☆」
そんな思いで引っ越す日を指折り数える日々の中で、違和感に気づきます。
普段は口やかましい母親が、何も口やかましいことを言ってこないのです。
それどころか妙に優しく、僕の大好物を夕食に出してくれたりと、明らかに一人暮らしが決まる前とで様子や態度が違うのです。
毎日のようにケンカしていたので、その変化がどこか不気味で気持ち悪くさえ感じていたものです。
そして迎えた引っ越しの日。
両親と妹が総出で引っ越しの準備を手伝いに来てくれました。
一人暮らしに必要な用具全般と、当面の食料に困らないよう、大量の食品を買ってくれました。
そして忘れられないのが、一通りの買い物と家具などの設置が終わり、家族が帰宅する直前のことです。
こっそり父親が僕に対し、「お母さん、お前がいなくなることすごくさみしがってるから、たまにはメールとか送ってやりや」というようなことを言うのです。
それまで恥ずかしくてまともに感謝の言葉すら親に述べられなかった僕は、父親からその話を聞いて動揺するもどう返答したら良いか分からず、ただただ呆然としてしまいました。
そして帰り際、母親に対して声を振り絞るように「今日はありがとう」と言えました。
走り去る車の後ろ姿を見ているとすごく寂しい気持ちになり、なんだか自分はとんでもないことをしてしまったのではないか?という罪悪感のような気持ちが芽生えました。
自室に戻ると、そこには当然誰もおらず、そして何も準備されておらず、いきなり一人で生きることの厳しさを感じたような気がしました。
恥ずかしい話ですが、まともにお湯すら沸かしたことがない僕は、カップ麺すら自力で用意する知識がないほどだったのです。
「食べるものはこれからどうしたらいいの?そうか、これからは全部自分で用意しないといけないのか・・・」
他にも洗濯、ゴミ出し、洗い物、その他もろもろ。。。
誰かがしないといけない雑務は山のようにありますが、その全てを誰かがやってくれていることを当たり前のものとして生きていたことに気づきました。
同時に母親への感謝の気持ちが一層強まりました。
離れて分かる人生の厳しさ!
残念ながら僕は大人になるまで人の言葉の裏を読むことができませんでした。
というか、ほとんどの子どもはできないと思っています。
よく「こんなに厳しくするのはあなたのため」みたいな言葉を聞きますが、子どもの頃の僕はその言葉の意味が全く分かりませんでした。
怒ったり厳しいことを言ったりしてくるのは、自分のことが嫌いだから。
本気でそんな風に思っていました。
頭にきている時は、そんな毎日毎日怒るんやったらなんで俺のこと生んでん?なんて風に思ったこともあるくらいです。
しかし実際一人暮らしを始め、身の周りのことは何でも自分でしなければならないこと、困った時はいつでもすぐに助けてくれる人がいるのではなく、自分で何とかしなければならないこと、こんなことを体感する内、なぜ親があんなに口うるさく自分の欠点を指摘してきたのかに気づきます。
子どもはいつまでも親のすねをかじることはできません。
いつかは自立し、自分の足で人生を歩んでいく必要があります。
そのような時に少しでも困らないようにと願う親の気持ちが口うるさく言われてきた内容などに反映されていたことに気づきます。
実際当初は悠々自適な一人暮らしライフを想像していた自分ですが、想像以上に大変なことも多く、要領をつかむまでは大変だったことをよく覚えています。
例えば家賃や光熱費の支払いのためにはそれぞれ指定された口座に入金しないといけない。
それまで銀行でお金の引き下ろしなども当然やったことがない僕は、ここでも四苦八苦します。
こんな些細なことも含め、これまでやったことがないことだらけで、必死に調べたり人に教えてもらったりしながら覚えていきました。
漠然と大人って大変だなーと感じました。
自由の代償とは?
「自由」という言葉は響きがよく、誰もが憧れる言葉です。
しかしこの自由という言葉の厳しさを僕は一人暮らしを通じて学びました。
確かに一人暮らしをしていると、誰かにガミガミ言われることはほぼありません。
何をいつ、どうするのかも全て自分の裁量で決められます。
生きた時間にするか、そうでない時間にするかも自分次第です。
逆に言えば、誰も何も言ってくれないし、教えてもくれないのです。
学生の頃に進学塾に通う子は、大体塾に通っている期間は塾がしんどい、早く受験から解放されて、塾からも解放されたい、なんていう風に願います。
しかし、卒業して塾から離れると、しんどかったけどいつ、何をすればいいか適宜教えてくれて、その通りにやっていれば成績を上げることができた、いつでも指針をくれたことが本当にありがたいことだと感じる、などという風に言います。
実は誰かに教えてもらったり指導を受けたりする環境は、その人にとって非常に楽であり、恵まれた環境なのです。
自分で考える必要がないからです。
大人になるにつれ、待っているだけで何かを教わることができる機会は少なくなります。
「いつ、何を、どんな風に」ただ教えてもらう通りに進めるだけで、タイムリーに必要な力をつけたり知識を得たりできます。
そういったことも全て自分で考えて行い、それによってどんな結果になったとしても全て自己責任。
そんなことを日々感じていたので、大学の勉強も自分なりに計画を立てて行っていました。
大学はそれまでの学生生活と大きく違い、時間割をある程度自由に決められます。
人によっては平日なのに授業を一切入れない実質「休日」にすることも可能だし、とにかく時間的余裕がそれまでの学生生活に比べると格段に増えます。(もちろん大学の学部やコースにもよりますが)
その生まれた時間の余裕をどう使うかは、本当に人それぞれでした。
ひたすらバイトを入れ、月に10数万稼ぐ友人。
しかもその目的が、単車を買うお金を貯めるため、という友人もいれば、好きなブランドの商品を毎月買いたいから、という友人もいました。
中には留学費用を貯めたいから、とか、学費を自分で払わないといけないから、という境遇の友人もいました。
中には朝から晩までひたすら遊びほうけ、単位ギリギリという状況に追い込まれる友人もいました。
ひどいと、遊びすぎて進級できなくなってしまった、なんていう友人や先輩もざらにいました。
それこそ留学に向け、毎日授業後には図書館にこもり、閉館時間までひたすら勉強に励む友人もいました。
本当に様々な考え方や価値観を持つ友人に囲まれて、大変刺激を受けました。
恥ずかしながら偉そうにこんなことを書いている僕も、大学時代はバンド活動にのめり込み、正直勉強や将来のことについては2の次でした。
日々が楽しければそれで良い、と思えるくらい、本当に毎日が楽しすぎたのです笑
しかし大学3回生の終盤あたりから周りに流されるように始めた就職活動をする中で、資格をはじめ、この大学生活の中で何を身につけられたのか、形としてアピールできることはあるのか、と考えた時、何も残っていないことに気づきました。
しっかりしている友人は少しでも就活でアピールできるように、TOEICのスコアを上げるために頑張っていたり、簿記の資格をとったりしている友人もいました。
そういった友人と自分を比較した時に、自分は将来のことをきちんと考えられていなかった、ということや、将来何になりたいか、なども含め、何もビジョンが見えていなかったことにも気づき、焦りを感じました。
大学生活の締めくくりは、単に卒業するだけでなく、その先の道を見つけ、進む道を確保することです。
その進む道を見つけ、確保する準備がまるでできていなかったのです。
しかしこれが自己責任という名の僕が大学時代を自由に生きた「結果」でした。
幸いいくつかの内定をもらい、無事に就職もでき、またその就職先で培ったノウハウがこのような教育関係の知識を身につけることにも役立ったのですが、今でも大学の時点で今のような考え方ができていれば、きっと違った未来が待っていたようにも思います。
自分の人生を「作る」発想を持つ!
義務教育期間は、進むべき道が決められています。
小学校の後に進む中学は、受験をしない限り地元の指定された公立中学校に通うことになります。
高校は自分で決めることになり、そこから先も、全て勝手に用意されている環境はありません。
全て自分で考え、自分で進む道を見つけ、それに向けて努力して邁進していくしかありません。
誰かが用意してくれるのではなく、「自分で見つける」しかないのです。
そんな道を見つける上で大切なことは、常に自分の人生は自分で「作る」という発想を持つことです。
もし僕が親元を離れず、一人暮らしをしてなければ、無意識に両親に依存するという状況から脱却できていなかったと思います。
結果として、自立に必要なスキルや考え方など何一つ身についていない、当時以上に困った大人になっていたことは間違いありません。
そういった意味でも親元を離れるきっかけとなった大学生活は、自分にとって本当に大きな意味を持つ期間でした。
遅すぎた感謝の気持ち
最初に述べたように、僕は一人暮らしを始めるまで、身の回りのことはほぼ何もできませんでした。
言い方を変えると、知らず知らずそういったことは全て親が完璧にしてくれていたのです。
家を出るまで当たり前のことだと思っていたほとんどのことが、決して当たり前のことではなかったのだと気づきました。
そして、それまでは正直苦手意識を持っていた両親のことを心から尊敬し、感謝の気持ちを持てるようになりました。
「もっと早く気づいていれば。。。」
成人間近になって気づくのは遅すぎたと思っています。
だから自分が指導する生徒には、ことあるごとにこの感謝の気持ちを持つ重要性を語っています。
僕は一人暮らしを通じて本当に数多くのことを学びました。
昔は顔を合わせるたびケンカしていた母親とも、家を出てからは気持ち悪いくらい仲良く話せるようになりました笑
この適度な距離感が僕にとっては大切で、本当に良かったと思っています。
まとめ
親にとって居一番大切なことは、「子どもを正しく自立させること」だと思っています。
仲が良いことは結構ですが、いつまでも子が親に依存してしまう状況は決してよくないと思っています。
大切な我が子が親元を離れることは寂しいと感じるとは思いますが、逆に子どもが家を出たいと言えば、正しく自立しようと成長をさせられた証拠です。
むしろ胸を張れば良いとさえ思います。
親元から離れることで、子どもは親の知らないところでたくさんのことを学び、気づき、そして親のことをさらに好きになります。
僕の娘二人も、成長とともに良い意味で自分の足だけで歩いてみたいと言ってくれたらいいなと思っています。
もちろんそんな娘たちを全力で応援するつもりです。
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