教師とは学者でなければならない
1を教えるには、100を知らなければならないとは教育業界では有名な言葉だが、これは本当にその通りだ。
問題が解けても、なぜそうなのか?という知識がなければ、説得力のある説明はできない。
そして言語である英語は、常識として知っているようなことでも実は知らないことは多いはずだ。
身近な例で言うと、冠詞のa,anがあるが、母音から始まる単語の前はanを使う。
an appleのような感じだ。
では、なぜ母音から始まる単語の前はaではなく、anを使うのか?
それを知っている人はいるだろうか。
実はこれは非常に単純な理由で、単に母音から始まる単語の前がa だと発音しづらいからだ笑
試しにa appleと発音してみてほしい。
すごく言いづらいと思う笑
このように一見当たり前とされる定義にも、実は面白い理由が隠されていることが多い。
少しレベルを上げて、生徒も教師も苦手な加算名詞と不可算名詞についての話に移ろう。
加算名詞とは数えられる名詞、不可算名詞とは数えられない名詞のことだ。
これは実は日本人はすごく苦手な概念の一つだ。
なぜなら日本人は色んな単位を駆使して何でも数えてしまうからだ。
1人、2個、3杯、4つ、5羽、6切れ、7枚、8章・・・・こんな具合に色んな単位がある。
だから英語の世界で数えられない単語に対して「なぜ?」と感じることがある。
例えば紙を数える時、日本人は1枚、2枚と数えるだろう。
しかしこれは英語の世界では数えられない言葉に充たる。
他にも肉やパンも数えることができない。
1切れ、2切れと数えることができそうなものなのにだ。
賢い生徒ほど、そのことを伝えると驚く。
これを丸暗記で、片っ端からこれは数えられる、これは数えられないと理屈抜きで覚えたとしても、例外の数はたかが知れているのでなぜ数えられないのか?という理屈を知らなくても問題を解くことに支障はない人は多い。
実際僕も学生時代から英語は得意で、別にこの単元でつまずくこともなかったが、当時なぜ肉やパンが数えられないのかと説明を求められても、多分答えることはできなかった。
問題が解けるからその問題を説明できるとは限らない。
「そんなこと言われても、そういうものだから・・・」としか答えられないことは結構あると思う。
しかし指導者になれば、そんなことも言ってられなくなる。
だから絶えず自分が担当する教科の知識を深める努力は続けないといけない。
子どもは教師の力量を見抜く!
そうでなければ、まず指導する子どもからの信頼を得ることが難しくなる。
子どもはやはり大人のことを見ている。
この先生はすごい、この先生は大したことない、この先生の言うことはちゃんと聞こう、この先生は・・・など、日頃の行いなどを観察しながら、子どもなりにその先生との距離感を測っている。
何を聞いても説得力のある答えをビシッと返せる博学な教師はそれだけで子どもからの信頼度はグッと増す。
何を聞いてもおろおろして答えを返すまでに時間がかかる、もしくは結局納得いく答えがもらえない、となると、子どもの距離は離れる一方だ。
教師という仕事は奥が深い。
逆にこのような厳しい目線を持つ生徒のおかげで、僕も若い頃にかなり鍛えられた。
英語に関する本をたくさん買い、通勤途中の電車内や、休日に研鑽を積んだことを今でもよく覚えている。
そして学んだことを早速実践に移してみようと、良い意味で次の授業を楽しみにしていた。
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こうしてアウトプットを繰り返すことで、自分の授業力に磨きをかけることができたように思う。
かゆいところに手が届く指導ができるからこそ、分かりやすい説明ができる!
中学生であれば、ほとんどの生徒がget upの意味を知っていると思う。
「起きる」という意味です。
では、この単語を正確に発音できるだろうか?
コテコテの日本語英語で、ゲットアップなどと発音しているようでは、正確に聞き取ることはできないだろう。
実際にはtの音はほぼ聞こえないから、ゲッアップと発音すれば、実際の音に少し近づく。
しかし実際にはそうとも聞こえない。
正しくはゲダッ(もしくはゲラッ)のように聞こえる。
get upのtの前後のアルファベットに注目してみよう。
eとuだ。
共通点があることに気づくだろうか。
ちなみにこれを生徒に質問して考えさせると、気づいてくれる生徒もいる。
eもuも、日本語の「あいうえお」、つまり母音であるという共通点がある。
この母音に挟まれたtの音は、dの音に変わるというルールがある。
だから先ほどのget upも、eとuに挟まれたtがdの音に変わるので、ゲダッのように聞こえるということだ。
ちなみにdの音は日本語のラ行の音に似ている。
だからゲラッのようにも聞こえるということだ。
このように、tがdの音に変わるという説明ができるかどうかの違いは大きい。
おそらくネイティブの人はこのルールは当たり前のことすぎて、却って説明ができないだろう。
「すごい」と「すげー」の違いを論理的に説明するよう、求められても意外と難しくないだろうか。
強いて言うなら、すげーはどちらかというと話し言葉で、きちんとした文章には相応しくないといったことはぼんやりと思いつくだろうが、やはり曖昧な説明しかできない人が多いと思う。
これと似たような感覚だろうか。
これも知識が大切であることを示す一例だと思う。
まとめ
子どもに分かりやすい説明をするためには、指導者がその何倍もの知識を蓄える必要がある。
何より何でも子どもの疑問に、子どもが納得いく形で応えられる教師はカッコイイ。
教師である以上、やっぱり子どもに力をつけさせたいだろうし、何よりも信頼されたい。
子どもから先生の授業は分かりやすいと言わせてあげたいだろう。
ぜひともそんな教師を目指し、研鑽に励んでほしい。
ちなみに英語に関しては、関正生さんの本がかなりオススメ。
僕も若い頃はかなりお世話になりました。
参考にすると良いと思う。
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